なんとびっくり、手が進んで平安のお話③までやってきてしまいました!
学生時代に学んだことを思い出しつつ、調べつつ書いているのですが…
そろそろ授業ができそうな勢いですよ!
さて、前回から取り上げている和歌について、歌のうまさをうかがい知ることができる
エピソードがありますので、ご紹介できればと思います。
その人物は小式部内侍。
和泉式部の娘ですが、母親とその娘、2人とも才能にあふれた歌人として有名でした。
以下は、百人一首にも選ばれた小式部内侍の歌です。
『大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立』
この歌にまつわるエピソード、カッコよくてワタクシは大好きです。
ある日、母親の和泉式部(このお母さんもなかなかスキャンダラスな方…)が父親の転勤
で丹後に引っ越してしまいます。京都には娘の小式部内侍だけが残ります。
そんな折、小式部内侍は歌詠みの大会によばれることになりました。
招待されるだけでも大変な名誉なことなのですが、仮に大会で平凡な歌を詠もうものなら、
その評判は一気に下がってしまう厳しいものでもありました。
そんな緊張感の中、定頼中納言という人がふざけて、
「こんなプレッシャーの中じゃあ、良い歌なんて詠めないでしょう。
(お母さんに歌を詠んでもらうために)丹後に遣わした人は帰ってきましたか?
お遣いの人が戻ってくるのが、待ち遠しいものですよね」
・・・なんて意地悪なことを言い、小式部内侍の前を通りすぎるのです。
むっとしたのでしょう、小式部内侍は中納言の袖を引き止め、上の歌を返したのです。
「大江山を越えて、生野という土地を通っていく丹後までの道が遠いので、
私はまだ天の橋立を踏んだこともありませんし、母からの手紙も見ておりません」
とっさに完成度の高い歌が帰ってきたことに驚いた中納言は、歌を返すことも出来ず
袖を振り払ってその場を立ち去りました。
もちろんこの行いによって、小式部内侍の実力は確かなものとなり評判になりました。
小式部内侍は実力がありながら若くして亡くなってしまいました。
母親である和泉式部のエピソードも、興味深いものがたくさんありますから、
ぜひ興味を持ってほしいところです。